研ぎ澄まされた感性と知識。 木材のスペシャリストと考えるパーソナライズへの向き合い方

空間デザインを手掛けるCalが立ち上げた家庭用サウナブランド「Japan Sauna」。“数十年変わらない日本の温浴空間をもっと楽しいものにすれば、ライフスタイルはより良くなる”という想いのもと、同ブランドの設計からデザイン、制作まで、すべてを自分たちで完結させている。
2024年3月現在、今まさに今後のサウナビジョンについて構想を練っている真っ最中。そんなCal代表の真榮城徳尚さんが、これまでの人生で出会った人と会話を重ね、「Japan Sauna」のコンセプトを深める、いわば前日譚である本連載。
第2回に登場するのは、数寄屋大工、設計事務所での活動から得た工法、知識、感覚などを活かし、さまざまな地域がもつ価値や文化を模索しながら、多角的に活動する建築家・美術家の佐野文彦さん。前職の同僚でもあるふたりが、木材のスペシャリストである佐野さんと、空間デザインのプロフェッショナルの真榮城さんが、それぞれの視点からこれからの日本のサウナの在り方について本気で考えて対談した。
設計事務所で出会った旧知の仲

真榮城さん:
佐野くんは僕が最初に勤めた設計事務所に後から入ってきた同級生。佐野くんが現代美術に詳しいのがわかる資料を送ってきたのがすごく印象的だった。懐かしいね。
ところで佐野くんの経歴って本当にすごいよね。競輪選手を目指して、数寄屋大工に弟子入りして、そのあと設計事務所に入社でしょ? 飛び出し方が面白い。
佐野さん:
一生続けるなら好きなことじゃないと続かないから、それなら絵を描いたり物を作ったり、クリエイティブ系のことをやりたいなって思ったんです。だから普通に設計事務所に大学に行って建築を勉強するという形じゃなくて、数寄屋大工という茶室や料亭を作る職人に弟子入りして、建築家になろうと思った。
真榮城さん:
僕は建築や空間を作るにあたって仕組みを考えることを重要視したけど、佐野くんは建築家としての立ち位置を先に作り上げているよね。わかりやすい言い方をすると建築分野のアーティストルートに進んだ感じ。僕の中では、奈良という木材に囲まれた土地に生まれ、競輪で飛び出したものの、数寄屋大工で日本の本流を学び、それを自分なりにアレンジしたもの作りをしていたら、あっという間に有名になった“同じ世代のトップランナー”みたいなイメージなんですよ。アワードももらっているよね?
佐野さん:
エル・デコアワードとか、FRAME AWARDSをもらっています。
真榮城さん:
そんな佐野くんと僕がサウナのプロダクトを一緒に作るとするなら、ある意味でのちょうど良さがある気がしない? 僕は商業的な視点からコンセプトやデザインを考えて、一方で佐野くんは美術の歴史と木材に関して世界でもトップレベルな観点から考えることができるわけだから。
佐野さん:
美術史と木材への知識はもちろん、丸太、竹、蔓、石など自然のフォルムを残した素材を組み合わせて住宅や茶室、料亭、旅館などを魅せながら作るという数寄屋大工ならではの知識や経験も大いに役立つかもしれませんよね。
真榮城さん:
ところで、佐野くんって個人的にサウナに行ったりするの?
佐野さん:
仕事でサウナを作ったこともあるし、プライベートでの利用もします。ただ僕自身は整う整わないという感覚よりも、自分が自分ひとりで何かを考えたりする時間、もしくは誰かと普段は話さないような、自分の持っている思想自体をどう思うかみたいなことを喋ったりすること自体に面白さや必要性を感じています。
サウナと茶室の類似性を考える

真榮城さん:
仮にサウナっていうプロダクトがフィンランドから来たものではなくて、日本でできたプロダクト、日本にもともとあったものだと考えたらどんな形になると思う?
佐野さん:
現代の感覚に合わせて考えるなら、デジタルデトックスかな。現代人は常に携帯を持って情報を取り入れ続けながらいなきゃいけない。昔よりもデジタル機器が水に強くなってきたから、お風呂に入りながらでもフルスペックに近いところで仕事ができてしまう。
昔は浴室でデジタル機器を使えなかったから、一定の時間はフルスペックの状態から離れることができていたと思うんです。仕事をするとしても、風呂に入りながら紙に書きながら考える程度。かなり低いスペックでものごとに取り組んでいたわけだけど、それって実はすごく大事なのかもしれない。
誰もが膨大な情報網の中で生きるこの時代に、あえて情報を減らして制限しながら時間を過ごすこと、もしくは誰かと話すことだけにフォーカスする時間を設けるというのはちょっと面白そう。
真榮城さん:
今回のサウナプロダクトの軸のひとつとして、“自分と向き合う場所”というのはあります。僕はそれが茶室と結びつくんじゃないかと考えているんだけど、佐野くんならサウナと茶室をどう結びつける?
佐野さん:
この間北海道のサウナに行って改めて思ったんだけど、あの空間だから話せる何かってあると思うんですよ。通常よりもスペックを落とすことでできることが、お茶室的なものと結びつく可能性はあるのかも。
私の感覚だと、茶室自体がある種の不便さの上に成り立っている気がするんです。現在の茶道は教養としての概念が強いように思いますが、昔の茶道はたぶん現在のお茶の概念とはまったく違うものだと思います。昔は自分の見ている価値観や、自分が美しいと思っているものの見せ合いの場だったのではないでしょうか。いわゆる教養やお稽古ではなく、価値づけをすること自体が許される立場にどうやってなるかみたいなことも含めて、そういうことを問うとか、そこにわざわざ呼ばれる、あるいは呼ぶ、そのような行為そのものに意味があったのではないかと思います。
真榮城さん:
以前、サウナストーブの開発メーカーから招待を受けてエストニアに行ったんですが、エストニアやフィンランドでは「じゃあ、うちのサウナに一緒に来るかい?」みたいな文化があるらしいです。
佐野さん:
それってまさしく茶室じゃないですか。
真榮城さん:
そう、これってお茶に近しい部分がある気がしますよね。これを現代以降に当てはめるとどういう形であるべきなんだろうというのは、これはもう次のフェーズの話かな。
佐野さん:
いわゆるメディテーションをどうするかなど、マインドフルネス的な話はあるかもしれない。
真榮城さん:
そういうものって、本当はもっと普及するべきなんだろうなと思うんです。だけど、たとえばメディテーションルームがある家なんてあるわけないし、メディテーションルームという習い事もちょっと意味わかんないし。だからといって京都の素晴らしいお庭の前の縁側で座って心を静めて、自分を無にしましょうという取り組みをしたところで、「誰がやるの?」と思ってしまうよね(笑)。
でもリセットは必要なことだし、どうにか自分をリセットする技みたいなのを実はみんな持っていると思うんですよね。で、それを空間に落とし込んでいくとするなら、サウナの可能性があるんじゃないかと思っています。
自分との向き合いと、他者とのつながり

真榮城さん:
自分ひとりで自分に向き合うということを、いったい日本人はいつ行なっていたんだろうと考えると、もしかすると仏壇の前という可能性もあるかもしれないとも思ったんです。
仏壇で手を合わせるときは、自分のご先祖様のことを思い浮かべながら近況の報告をするじゃない? そこで俗的なことをお願いすることはあまりない。たとえば「あと3日で入金が欲しい」とか「あそこでこっちに転んだら3000万なるんですけど、それよろしくお願いします」みたいな話もあんまりしないでしょ? それよりも自分に対しての問いや自分の置かれている近況の分析をする方が圧倒的に多い。
佐野さん:
たしかに。
真榮城さん:
でも、現在の家には仏壇がある家の方が圧倒的に少ない。核家族化の影響で……というか、生活スタイルの変化によって少なくなって、祈るという行為そのものが減っている気がする。仏壇や神棚に手を合わせるというのももちろんだけど、もっとライトなところだとご馳走様のときに手を合わせるとかもそうだよね。手を合わせるという行為は、もしかしたら感謝を述べるとかお願いを述べる、報告をするということではなくて、自分に対して大事なものを決めたりするための行為なんじゃないかな。
佐野さん:
たしかに、現代においてはそれ自体が減っている気がするよね。エビデンスの時代に祈りや宗教、信仰っぽいことをしても非効率的と考える人が増えているのかも。世界的に宗教っていうもの自体がすごく弱くなっているし、だから神頼みとか目に見えないものに対して話しかけるとか、そういう自分の思いを語るみたいなタイミングっていうのは少ないのだろうとも思います。自分で自分の心を考えて震源をなぞる時間というか、そういうものがすごく作りにくい時代なのかもしれないね。
今って、見ようと思ったらどうでもいい情報が無限に流れてきて、時間やコンテンツをいくらでも消費できる。だから「暇だな」って思うこと自体がなくなったと思う。でも、その「暇だな」と思う時間って実はとても大事なんじゃないでしょうか。
真榮城さん:
祈りって言い方が正しいのか、感謝と言う方が良いのかはわからないけど、やっぱり“自分に問う”ことがすごい大事だと改めて思った。でもこれって、自分の生活を振り返ってみてもなかなかできていないなぁ。
佐野さん:
レコメンドされるし、なにかと忙しいんだよね。選択肢だって、なんだったら自分で選んだものではなくて、他人から勧められたからこうしようとか、そういうことが増えた気がするし。
真榮城さん:
選択肢が少ないときはちゃんと選べたのに、最近は選択肢が多すぎるせいで判断があやふやになることが多い気がするよね。
“自分の求める環境”で構成するサウナで、環境問題へも目を向けられる可能性

真榮城さん:
今回のサウナプロダクトでは、いろいろな面を“日式”で構成したらどうかと考えているんです。サウナの生まれ故郷ではないこの日本だからこその、日本らしいスタイルというか。そんな中で、ポイントのひとつとして外せないのが使用する木材だろうなと思っています。もしジャパンサウナみたいなものを作るとしたら、1畳ぐらいの自分と向き合う空間を作るためには何で作ればいいと思いますか?
佐野さん:
たとえば自分が育った場所や憧れている土地の木を使うとか? 自分に近い環境や自分の求めている環境に近い材料を使うと良さそうな気がします。
真榮城さん:
生まれ故郷に近いってことですか? 近いといい理由は?
佐野さん:
自分の育ったエリアそのもの自体を、建物というテリトリーの中に組み込んでみるのって面白そうだと思いませんか? 私も林業のこととか考えていく中で、木の使い道について悩むことも少なくありません。もともとの日本は山自体が険しくて針葉樹とかが豊富に生えていたけど、戦後に多様性がない山を大量に作り出してしまった。今、その木をどうやって使うかというのが問題になっているわけですね。
自分のまわりで生えて育ってきた木そのものを使う先自体がない中で、自分が自分と向き合うだけのための空間を作ろうというときに、そういったものを使っていけたら木や山の循環としてもちょうど良い。切られた木のところに新しい木がまた植えられて次の歴史を紡いでいったり、自分を成長させるのに比例して自然を育てられたら、環境を守る活動にもつなげていけますからね。
真榮城さん:
ところで、木の年輪って冬の外皮が硬くなることによってできるものでしょう? 仮に人にも年輪があるとするなら、何によってもたらされるものなんだろうね。僕は人の大きさっていうのはもしかしたら、自分で決断をした数がどれだけあるかっていうもので測れるんじゃないかなとも思っているんです。
佐野さん:
ダラダラなんとなく生きないこととか、そこがすごく密度濃く年輪が刻まれている人間になる秘訣なんじゃないかとか、そういうことですかね。
真榮城さん:
そうだとすると、なるべくそれをイメージできる国産材を使うというアイデア自体は良いですよね。「この木のこの年輪たちよりも自分が強くならなきゃいけないな」みたいなことを思えるようなものが必要になってくるのかな。
“中途半端な林業”の代償から目を背けてはいけない

真榮城さん:
佐野くんが感じている林業の問題点を教えてもらっていいですか。
佐野さん:
最終的に目指すべきところは、1円でも高く木を売ることだと思っています。100年の年月をかけて育てて、伐採して、1年寝かせて、トラックで取りに行って、おろせる長さに切って、トラックに積んで、マーケットまで下ろしてきて1万円で売れないというのが現状なんです。かけた時間とマーケットでつけられる値段に差がありすぎる。
国から出ている補助金もありますが、この補助金はあくまで国土保全のためのもの。要は土砂崩れしない山を作るための補助金、災害が起きないようにするための補助金なんですよね。国土保全の側面からしか物事を見ていないわけだから、木を育ててもらうことには意味があるんですけど、そこで出来上がった木そのものにはほとんど価値がないという状態。だから最後はバイオマスで燃やした方が儲かりましたってことになってしまう。わかりやすくいうと、豚を100年育てて、すごい濃い豚ができたのに「身は必要ない。ラードしかいらない!」って言われているような感じ。
真榮城さん:
もう一方で、植林をしすぎたというような問題もあったじゃないですか。
佐野さん:
それは単一種を植えすぎたのと、50年前とか70年前とかに、こんなに海外から木を輸入するようになるなんて思わなかったことが原因ですかね。政策として舵取りの方向を見誤ってしまった結果が現状なんです。戦後復興のために少しでも早く材木が欲しかったから、成長スピードの速いスギをたくさん植林して栄養剤をバンバン使って成長させるわけですが、当然、質の悪い国産材が大量に出回る結果になってしまいました。
真榮城さん:
花粉症に悩まされている人は、1万円かかっても伐採して欲しいと思うかもしれないね。
佐野さん:
花粉症の薬分と同額のお金を集めて日本全体から100万本のスギを切ったから、これで何か建てましょう、みたいにするとかだったらアリだよね。
真榮城さん:
50年もののスギを使う作業ができて、さらに木材の価格が上がったら嬉しいってこと?
佐野さん:
木材が木材としての価格競争力をちゃんと持つような形になれば理想的です。「木を使いたい」「木が使われていることがかっこいい」というイメージが定着すれば、木を育てて人たちも溜飲を下げることができるんじゃないかと思います。問題はそのマインドをどう作るかって話なんですけれど。
たとえばスギとヒノキに関しても同じで、最終完成品としてのクオリティをどこまで上げていくのかという課題はありますね。ヒノキと比べるとスギにつけられる値段はかなり安くて、雑材でも半額くらい。吉野杉の最上位クラスでは270年生ぐらいなんだけど、これでも原木1本1000万円くらい。270年で1000万。単純計算で年4万円弱。4代5代の人が一生懸命つないできたのに、たったの年4万円弱にしかならないんです。仮にこれが最低でも1本1億円以上の額になれば、やる意味はあると思ってもらえると思うんですけどね。
真榮城さん:
すごい矛盾だね。1980年代にスギの木の大量植樹が生まれて、それによって日本人は安い木材資源を得た。それなのに、さらに安い北米産材のSPFみたいなものを使い始めた。結果、伐採が少なくなって多くの人が花粉症で困ってるっていうこの循環(笑)。この循環において何をやるべきかというと、スギとヒノキを使いなさい&スギとヒノキを使ったら違う木を植えなさいということ。

佐野さん:
あとは、もっと高価価値にしなさいって話だと思います。どうすれば戦後から増えてしまった安くて質の悪い木材を、これまで育ててきた人が溜飲を下げられるぐらいの値段で使うことができるかというところを考える必要がありますね。その問題が解決したら、次は吉野杉のようなクオリティの高いものを作っていって、長い時間の先には吉野杉の値段が10倍になることもあるかもしれません。
真榮城さん:
溜飲を下げられる価格帯で売れる付加価値を見つける話と、それで売れた後に一体何をするかっていうところのセットで考えないと山自体は変わらない。使うことと植えることをセットで考えなければいけないんですね。
佐野さん:
たとえば今は、木材を機能でしか考えないですよね。二酸化炭素を吸いながら育ちます、それで邪魔になったときには燃やして処分することできます。その後必要に応じて増やすこともできます、というようなイメージ。だから次どうするのかというところが重要になってくるわけなんです。
真榮城さん:
でも今話していた問題って、多分20年前ぐらい前から言われていたことですよね。
佐野さん:
間伐などの手入れをしないまま放置される山、あるいは伐採したまま放置される山が目立ってきたのが多分20〜30年前くらいなんですよね。で、手入れが行き届かなくなった結果土砂崩れが頻発してしまったため、森林環境税という税金を1人あたり1000円徴収することになりました。でもそうすると、果たして良い木を育てる意味はあるのかという話になってくる。困ったものです。
真榮城さん:
先ほど話題に出た、自分が育ったエリアなど自分の呼吸に合う木を選ぶのはどうかという話なんかも含めて、このサウナプロダクトにも通じる話ですよね。僕たちはプロダクトを作っているわけですが、ここから先のもの作りはおそらくパーソナライズなんだろうと考えています。
ものづくりの歴史として考えると、昔は“あなたにはあなたのものを”っていうアーツアンドクラフトの時代があったし、カウンターとしてのハウスがあって、インダストリアルが生まれてきた。そして大量生産のものづくりの時代に突入した。では、その次にあるものづくりとはどういうものなんだろうかと考えたときに、それは“大量生産のできるパーソナライズ”ではないかと僕は思っているんです。
産地の話なのか、自分の身体のサイズに個別にフィットさせるのか、あるいは呼吸の仕方なのか、それとも金額の上限に応じてなのかはわからないけれど、同じ材の中でも複数の候補から選べるようになってるものなのかもしれない。たとえば化粧材を選ぶのかKT材を選ぶのか、自然乾燥剤を選ぶかみたいな話って、建築業界にいると当たり前の話としてあるけれど、でもそれは一般的な感覚ではないですよね。
佐野さん:
私ね、現場に出ても木のにおいがよくわからないんですよ。鼻が慣れすぎてしまって。だから誰かに「木の良い香りがしますね」って言われて、なんだか微妙な返事になっちゃうこともあります。それが香りに定評のある種類の木ではない場合はなおさら。
真榮城さん:
別に良いじゃないの(笑)!
佐野さん:
うん、そうなんです。だからたとえば良い香りがする木といわれるカテゴリー外の木でも、そういうふうに思われたりするということなんですよ。香りや空気中に出ているフィトンチッドの精度などを変えている中で、どうパーソナライズに向き合えるか。せっかくなら、より有意義な時間を過ごせる空間にできたらいいですよね。
真榮城さん:
僕、今の話の締め方すごく好き! 佐野くんの話を聞いて、あらためてどんな材で作るのというのを真剣に考えないといけないなと思いました。自分たちがプロダクトを作るにあたって、選択のヒントになるだろうなと思います。
Text:小林ユリ
Photo:千葉顕弥
Editi:小林雄大
対談